所在地 東城町内堀字神代垣内
指定年月日 昭和59年1月23日
製鉄の作業は、鉄穴( かんな) ・鑪( たたら) ・鍛冶屋( かじや) の3工程に分けられるが、この遺跡は山土から砂鉄を採取する鉄穴作業(鉄穴流し)の採鉄洗場の跡である。
この上流には、2カ所の鉄穴堤( かんなづつみ) があり、この洗場まで幅1メートルの横手(水路)が長さ600メートルにわたって続く。横手沿いの鉄穴洞( かんなぼら) の真砂土を崩して水とともに流すと、流れるうちに砂分と鉄分とが分離する。それを水路をせき止めて作った大池にいったん流し込み、柄振( えぶり) でかきまぜながら、重い鉄を底にため、軽い土や砂を浮かせて流す。大池がいっぱいになると鉄穴洞の採掘をやめ、大池にたまった砂鉄を初池に水とともに流す。ここでも、同じ方法で重い鉄を池の底にためる。この方法で、中池・乙池・船場と繰り返すと、船場では黒々とした砂鉄がとれ、これを乾燥させて鑪に運んだ。鉄穴洗場の跡が完全に保存されている例として、極めて貴重な遺跡である。